患者本人にしかわからない「痛み」。解決できるかどうかで生活が大きく変わります。
●解決求め病院を転々
母(64歳)は2006年、右膝(ひざ)を人工関節に置き換える手術を受けました。「さらにいい状態にして、それを維持していこう」と、リハビリを頑張っていましたが、翌年にがんを発症。入院して、抗がん剤治療を半年行いました。その後、心臓弁を手術し、ペースメーカーを胸に埋め込みました。
さまざまな病気を治療するたびに、種類の違う痛みが足に加わるそうで、足を中心にリハビリに取り組んできました。しかし、母のいう「足の痛み」は完全に取れません。(運動しないために筋肉が弱くなる)廃用なのかどうか、主な原因もわかりません。
母は「いつか痛みを取り除いてくれる先生が現れる」と信じ、いくつもの病院を巡っていました。
理学療法士の方はリハビリを「治療だ」とおっしゃいます。しかし、痛みを取り除くためにリハビリを行っていくのか、生活の質の向上を求めてリハビリをするのか。介助する側もリハビリをどのように解釈して、何を求めていけば良いのかわかりません。(静岡県 苅谷祐司 36歳)
●優れた療法士に感謝
06年8月、旅先で交通事故にあい、両足に骨折や脱臼などのけがを負いました。搬送された病院で「歩けなくなるかも知れない」と言われました。
4年間に7回の入院、11回の手術をし、主な骨折はほぼ治りました。ただ、変形が大きい左の股関節は人工関節に置き換えることになりました。
股関節に痛みが残り、両手に持ったステッキに頼って歩くことになりました。姿は美しくないが、歩けるのだから仕方がないとあきらめかけていました。
ところが最後の手術をした病院で、優れた理学療法士に会いました。私の場合、両足の筋肉が歩き方を忘れているのだといわれ、ふつうなら無意識でこなす動作を少しずつ足の筋肉に教えていきました。
いまはステッキは不要で、近くなら自転車にも乗れます。痛みもほとんどありません。(東京都 池田睦子 57歳)
『4 社会の壁 なお高く』
病気に対する「社会の壁」の高さが問題だ、というご指摘もいただきました。
●「できる人」が支援を
60歳を超した母は、幼い頃にポリオにかかり、ハンディを背負った人生を送ってきました。しかし、本人のものすごい努力で、今なお「自分ができること」をしています。
母を通して知り合ったポリオの皆さんも、とっても頑張り屋さんが多いんです。周りの偏見や差別が、本人たちを強くさせたのかもしれないというぐらい。素晴らしい努力家で、人間としても尊敬しています。
私は、母を身体障害者と思ったことはありません。人間は完全じゃないから、みなが互いに支え合うもの。できる人が重い荷物をもって当たり前、と思って育ってきました。弱者を見て、見ぬふりをする感覚のほうが、理解できません。
「バリアフリーになったな」と、年々いろんな環境の変化を感じてはいます。しかし、電車に乗ると階段の多さがわかります。人の歩く速さが速い都会では、もっと階段が減ればいいなと思います。
年齢を重ねると、これまで普通に歩いていた場所が歩きにくくなることもあります。不自由になって初めて、わかるものです。お出かけしやすい施設がもっと増えると信じています。(東京都 青木直子 35歳)
●働き盛り、より深い苦悩
うつ病により離職し、2009年から自宅療養を続けています。連載に取り上げられた「うつからの復職」は、休職した方の復職のケースを扱った記事でした。
しかし、離職せざるを得なかった人は、休職者以上に苦悩が大きいと思います。私自身がそうであるように、働き盛りの40代で、子どももいる家族持ちであれば、なおさらです。
もう一度働くにしても、まず社会復帰が必要で、その次にうつ病という病歴を背負っての就職活動、そして就職。普通の社会人に戻れるまでの壁がより多いように思います。
離職しうつ病と向き合っている人が少しでも希望を持てるように、「うつ病・離職からの社会復帰と就職」といった視点での記事もお願いします。(山口県 浜川栄太郎 42歳)